スケートボード・バリアフリー・アイスホッケー

人と出会う瞬間は不思議なもの。サンフランシスコ市内の地名説明は
省略して書いていきますが、僕らはSOMAの北、ベイブリッジ近く
のアパートに滞在、周辺はオフィス街で、オーガニック食材豊富な
フェリービルディングが近く、その辺りへの沿岸を夕方よく散歩、
スケートボードやローラースケートをする人が多く、SF2日目
に8歳の娘がスケートボードに憧れ、3日目にパウエル駅近くのコープ
ランド・スポーツでスケートボードを買った。それがきっかけで、
多くのライダーに出会った。SFはスケートボーダーにとっての憧れの
場所らしく、世界から多くのライダーがやって来る。公道は一応、
スケートボード禁止なのだけど、暗黙の了解で許されている感じ。
最初に出会ったのが25歳の日本人2人。めちゃ上手で、ずーーと見て
ても飽きない。彼らからライダーの集まる場所やテクニック等を教えて
もらって。コンクリート地面であればどこでもやれるのだけど、段差が
ある場所でのジャンプ等が一つの魅力。1メートルの高さある球形に
跳びのるアメリカ人がいたり。階段だと、上から下りてくるのは理解
できるけど、下からジャンプして上っていくというのが不思議。
ヒッピー発祥の地ヘイト・アシュベリーの北にあるラウール・ウォーレン
バーグ高校のコンクリートのグランドが土日だけライダーたちに開放され
る。そこでプロのライダーにも出会った。日本人も多かった。アメリカの
子供たち7、8人いて、みな上手。女の子のライダーは珍しく、1ヶ月の
滞在で20歳代のアメリカ人と日本人の女の子2人しか出会わなかったから、
娘が街で滑っていると、拍手喝采、みな優しい。普通に考えて、スケート
ボードは怖い。コンクリートの地面でしかできないスポーツだから、
こけたら危険。でも、みんな派手にこけても、怪我しない。もちろん
経験を積む過程で怪我は避けられず、親としては、心配なわけだけど、
やりたいことをとめる教育は殆どしていないので、見守るしかない。
で、僕が怪我した。ちょっとやってみて、バランスとるのが難しいけど、
少し慣れると楽しく、そしたら、派手にこけた。体が完全に宙に浮いて、
落下時、左腕を地面に突っ張ってしまい、手首から肘までのひどい捻挫。
骨折したかと思えるほどだったけど。あれからひと月経つけど、
まだ後遺症はある。


サンフランシスコ、バークレーサンノゼ、どこもバリアフリー
徹底ぶりは凄い。交通機関、すべての店、どこでも自在に車椅子で
行ける。至るところに障害者マークがあり、ここまで障害者支援の
表示を氾濫させるのかと感心した。人の意識を変えるのに、システム
の変化、大きなビジョンが必要と改めて思った。どこに行っても
快適だった。


サンノゼで、アイスホッケー観戦。サンノゼ・シャークスの応援。
試合は負けたけど。当日券を求めてチケット売り場に行くと、障害者
シートは売切れ。一般シートのチケットも数少なく、最上段の安い
チケットを買った。障害者でもOKの席かを確認し、ダッコすれば、
大丈夫と。我が娘は身長127センチ、ひょろひょろで、首が据わって
いないため、直角のシートだと、座ることができない。とにかく、
観客席に行くとき、係りの者がサポートするから大丈夫と。
で、入場するとき、係りのカッコいい女性が、僕らのチケットを見て、
これでは厳しいとなり・・・。案内されたのが個室。VIPシート。
1人27ドルのチケットが115ドルに化けた。
夢のような配慮で、アメリカを象徴する出来事だと思った。
想像するに、なにかの不備に対応できる予備として個室シートがあり、
僕らだけ優遇処置、シャークスの本拠地HPパビリオンで仕事する
一係員の権限が自立している、緊急用に空いているのだから合理的に
使う、合理的に機能的に無駄なく動くことで、強い印象を作る、宣伝
効果にもなる、こうして僕が日誌に書いてシャークスを応援したくな
る、笑、等など、実際その係員がどこまでイメージしたかは別として、
とにかく機能的で、対応素早く、鮮やかだった。