PANKEN再開/娘の帰天/熊野古道

PANKEN、9月より再開します。
http://hw001.gate01.com/panken/



7月30日、障害をもつ15歳の娘が急逝した。
生後5カ月で難病指定の点頭てんかんを発病、
その後、難治性てんかんへ。不安定な時期が長く
あったけれど、この5、6年は安定していて、
元気だった。一学期、学校へは皆勤賞だったし。
死亡推定時刻は午前3時。死因は不明。
前夜8時過ぎに寝る。それまで普段と変わらず。
朝の7時前に様子を見ると、すでに亡くなっていた。
死後硬直が少し出てて。苦しんだ様子はない。
いつもなら睡眠中に発作をしたりして寝姿が動く
のだが、就寝したときと殆ど同じ姿勢で硬直して
いた。3時前後に死に至る何が起こったのか、
気配も感じなかった。
全介護を要する重度の障害をもっていたが、
いろんな人に助けられ、介護が大変と思ったことは
なくて、むしろ障害者の世界と健常者の世界の両方
を同時に体験していくことで、単純に世界が広がる
というか、常に二つの世界を眺めていられることが
自分にはとても豊かなことと言えて、もちろん厳密
な意味では娘の体と心に成り替われない。それでも、
首の据わらない、健常者の言葉を持たない、歩けない、
手で何かを掴んで引っ張ったり遊んだりができない、
食べることは大好きだけど、自分の手で食べること
はできない、生きるのに必要な諸々をサポートされて
のみ生きられる、そういう立場がどういうものなのか、
どういう気分でいられるものなのか、僕ら家族は日々
そのことに触れ、想像し、でもそれによってストレス
を増幅させるような生活ではなくて、逆に外へと積極
的に、ごく自然なこととして、大仰にしないスタイル
で、明るくやってきた。その明るさの軸を突然失った。
4人家族が3人家族になるという悲しみ。僕らは
クリスチャンなので、死は天に召されて神様の元へ、
だから不幸ではなくて喜ばしいことというふうになる。
大阪教会での葬儀では年配の教会の方々が実ににこやか
に僕らを慰めてくださり、自分が将来、そういうふうに
人に慰めを与えられるのかわからないが、憧れを抱いた。


熊野古道


1か月の休業のあいだ、よく歩くようになった。
大阪市内を毎日数時間歩く。一人で、妻と、もう一人
の娘と一緒に、歩くことで精神的にラクになる。
それが嵩じて8月半ば、世界遺産熊野古道を歩いて
きた。紀伊田辺まで電車、そこからバスで牛馬童子へ。
牛馬から近露王子まで2キロの古道をまず歩いた。
わりと初歩的なコースだから歩きやすいですよと現地の
人のアドバイス。実際はいきなり急斜面の古道を上る。
僕らには結構きつく感じられた。
近露からまたバスに乗って発心門王子へ。
そこから熊野本宮までの7キロの古道。
ここも歩きやすいと雑誌等に。しかし、へとへとに
なったぞ。木の根っこが浮き出した古道、石を埋め込んだ
古道、ときにアスファルトの道に。「熊野古道」に関わる
道しるべは整備されていて迷うことはないけれど、
予想に反して歩いている人は少なかった。
奥深い山の中、前後だれもいないということも。
本宮近隣の日本最古の温泉と言われる湯の峰温泉で宿泊。
細い川沿いの小さな温泉で、最古と言われればそれが
似合う趣きあって、とても気に入った。
二日目の午前は瀞峡(どろきょう)へ。幻想的な渓谷。
子供の頃、熊野界隈は何度か訪れているが、瀞峡は初めて。
すべてを忘れさせてくれる、僕は毎日の日課として船に乗って
瀞峡に包まれる時間を1時間ほど持ちたいと思いましたね。
鮎等の川魚の釣り人が点景としてあり、僕は釣りをやらないけど、
その時間の過ごし方にちょっと憧れました。殆どの釣り人は
一人で、河原に車をとめて、川のなかに半身を埋めて静かに
釣り糸を垂れている。
午後、新宮の速玉大社へ。その後、那智勝浦までの海沿いの古道
を歩いた。海と小川で湿気が高く、暑くてかなり参る。でも、
崖の上からの海の景色は素晴らしかった。よく晴れてて。青い海。
熊野本宮に至る中辺路の古道は紀伊半島深奥にあり、山の中で、
湿気がなくて、高い木々の合間を歩けば日射は遮られ、わりと
涼しかったり、それに悩ましい虫群があんまりいない。比べて
海沿いの古道は蟹、蛇、蜂、トンボ、蚊、ミミズといろいろ。
僕はそういう生き物苦手ではないけど、娘は大の苦手で。
二日目は那智勝浦で宿泊。まぐろと鯨の町。
三日目は勝浦の港からバスで那智大社の手前の大門坂へ。
大門坂は700段近い石畳の坂で、それを上ってさらに少し進
めば那智大社。そこからさらに奥へ行くと那智の滝
滝を眺めて1時間は過ごした。その後、来た道を戻って大門坂
を下り、階段って上るよりも下るほうがずいぶん足に負担がある
と思った。これで熊野三山(本宮、速玉、那智)を巡ったことに。
商業的には那智に人が集まっていて、個人的には森の色と一体化
した本宮の建物に圧倒された。
907年にはじまったらしい京都からの天皇の熊野参詣。後白河
上皇は33回も熊野を訪れた様子。江戸時代には広く庶民にも
参詣が栄え、明治に入って以降、衰退へ。

熊野古道」と検索すればサイトはいっぱいあるけど、
下記のサイトが歩くコース別になっていて、便利。

http://kanko.wiwi.co.jp/walk/index.html